2021年時点での記事です。内容の一部変化している可能性があります。
2021年6月、長崎県諫早市にある多良岳という山に植樹された場所の手入れをしたり、地元の方々と交流しながら昔の豊かな有明海、山や森と川や海とのつながり、昔の諫早湾の豊かさ、諫早湾干拓工事の話を聴きました。
2021年10月に「森里海を結ぶフォーラム」を開く予定です。それは、森里海連環学という森から海までの自然の循環を取り戻そう、高めようと学問として提唱した京都大学名誉教授の田中先生を実行委員長として準備を進めています。ゲストには気仙沼で牡蠣の養殖をしながら「森は海の恋人」活動を続けてこられた畠山さん、環境省の自然局長の鳥居さん、全国で自然環境や生態系の保護活動、啓蒙・アクティビティ活動をされている方々を招いてフォーラムが開かれます。
専門家だけでなく、広く一般の市民の方々に自然と人のあいだの関係性について話を交わし、これから必要とされる社会づくりに向けたきっかけの場になることを期待しています。
自分はランドシャフト(Landschaft)の観点からこの取り組みに関わりたいと思っています。ランドシャフトとは、ドイツ語で「Land」は「土地や環境」、「Schaft」は「共同体やパートナーシップ」を意味し、その地にあった美しい景観をつくり出す様々な要素、気候風土、自然資源、生態系、人の営み、文化、哲学、歴史、建築、土木、都市・・のつながりから創出されています。
今回、諫早では地元の方々から、諫早湾、有明海の諫早湾干拓前の海の幸の豊かさ、今の干拓地や川の現状、諫早干拓がなぜ行われたか、それによって地元住民がどう困っているか、開門賛成反対で分断されていることなどを聴きました。頭で考えていたことと、実際に訪れて自分の五感を通して体感したこと、地元の方から話を聴き、対話して得られた情報は次元の異なる理解を促しました。
京北でもウナギや松茸が昔はあきれるほどよく採れたという話はよく聴きましたが、ここ諫早では、干潟で貝、海では魚、川ではウナギがやはりあきれるほど採れたと聴きました。その日の晩のおかずは漁師ではない人でもその日の夕方に行って採れるくらい、豊かな干潟、川、海が広がっていたそうです。
潮受け堤防をつくり、海と分断されてしまった川では、ウナギやカニ、魚が遡上できなくなったそうです。一方で、堤防の外側で海とつながっている川ではウナギやカニ、魚が川をさかのぼる姿が観れるそうです。
堤防の内側にはもともと海だった調整池という広大な池がありますが、今は水位が高くなった時に堤防から排水するしかつながりがなく、それまでいた魚や貝など生き物はいなくなり、その代わり、ユスリカという小さな蚊の仲間が大量発生し、虫取り網を10回くらいブンブン振り回すと5cmくらい収穫できてしまうほど大量発生していました。ユスリカは水質が悪化しているところで発生するそうで、水を浄化する働きをしているのではないかということでした。全体のバランスを取り戻そうと、自然が生み出したものではないかと思いました。
人間ももともとは土から生まれ、土を耕し、土に還るということを繰り返しながら自然の大きなバランスをつくる存在だったのだと思います。しかし、今はその働きと逆のことをやってしまっているから自然界からすると、汚れや滞りがたまり、地球は定期的に浄化が必要なので、地震、台風、ウィルスなどを発生させて自然の大きなバランスを保とうとしている、そんなふうにも考えられると思います。罪穢れや土地の定期的な浄化が大切だと教えている日本の神道のあり方にも通じると思います。
蚊がとまってかゆかったら、叩いて追い払うように、血行が悪かったらお灸をしたり運動したり温泉に入ったりするように、地球も滞りがあるから、いろんなことをやっているだけ。それに合わせた建築や都市、社会づくりをしていけばいいのではないかとも考えさせられます。
「地球交響曲 ガイアシンフォニー」という映画がありますが、それはジェイムズ・ラブロック博士が提唱した地球は一つの生命体であるという理論に基づいています。最近の科学で明らかにされつつあるバイオスフィアの姿ですが、縄文人や世界中の先人たちはそれを体感として理解し、自然を過度に壊さずに共生し、逆に自然を耕し、いい循環をつくり出そうとしてきた、それが素晴らしい里山や里海、都市の景観をつくり出してきたと思います。
地震にも台風にも柔軟に耐え、環境の変化があっても対応でき、心と身体の健康をつくり出してきた伝統建築や集落、都市。
それが干拓工事をして海と川のつながりが分断され、干潟がなくなってから、採れる魚の種類も量も圧倒的に少なくなってしまったといいます。そもそも干拓工事は山間地が多い長崎県の農地拡大のために行われ、それだけでは反対が多かったため河川氾濫など水害対策としてつくられたそうです。
しかし、干拓してできた農地は野菜を育てる土壌としては不適で、分断されてできた調整池が浅く太陽熱の影響を受けやすいため、夏は暑く、冬は寒いという場所になってしまい、ハウス栽培でないと農業もできないような土地になり、しかも地元の農家が入植したのではなく、地元以外からの企業による大規模農業が入っているということでした。個人経営でやろうとしても排水設備などが10億円規模で必要なためとても参入できるものではなく、土地もそのような場所のため農業をそこでやるメリットもないそうです。
もともとあった森、山、川、里、都市、海までの循環が分断され、干拓や水門の開門の是非などを口に出すこともタブーとなり、地元住民の心まで分断されてしまったそうです。
諫早の歴史を調べていくと、戦国時代まで西郷氏が治めていた土地で、そこに龍造寺氏が勝ち、諫早に入り、家治公から諫早氏と名乗るようになったそうです。以来、明治維新まで諫早の治山治水、産業の発展に努めてきたそうです。明治になってからも地元の発展のため、土地を市民に開放してきたそうです。
そうした歴史がある中での国家事業。いろんな話を聴いていく中で、そもそも地元住民のためのものではなかったのだと感じました。他の地域にも共通することですが、国家事業で地域の経済や自然環境が潤えばいいのですが、その逆になってしまうケースもあり、諫早干拓はその例でした。
干拓工事でつくられた潮受け堤防は美しい景観をつくり出しているわけでも、農業漁業に貢献しているわけでもなく、自然と人を分断してしまった負の遺産として今も存在しているかのようでした。
地域の資源を使い、地域の技術を使い、地域の人の生活や営みにつながり、つくることによって自然環境や生きとし生けるものたちの環境、土地の力が活性化し、数百年以上続く、美しい景観と循環の仕組みをつくり出し、そうした美学、哲学のあるランドシャフトをつくっていければと思いました。