去年の話ですが、地球と人体のフラクタル構造について、大地と人の健康について最近も考えていたので振り返ります。
2020年3月3日、若狭のお水送りに行ってきました。小浜の神宮寺という、今でも日本古来の神仏習合の姿が残っているところで毎年行われています。ここからお水を川に流すと龍脈にのり、約2週間かけて奈良の東大寺の二月堂まで届くとか。二月堂ではお水取りというお祭りが開かれます。東大寺の大仏(盧舎那仏)が完成した同じ年、天平勝宝4年(752年)に始められ、2021年には1270回目。どんなことがあっても続けられてきたそうです。今年も規模を縮小して行われているそうです。
以下、去年感じたことです。
神事はかなり神秘的で感動的で、炎が勢いよく天へと昇る様はなんとも心洗われるお祭りだった。神宮寺は昔行ったことがあり、住職さん?神主さん?(今もなお神仏習合の名残を残すのでどちらか定義できない?)に教えてもらったことは、大和朝廷ができた頃、すでに日本にはキリスト教や仏教、ゾロアスター教などいくつもの宗教や文化が入ってきていて、それが混ざり合って今の日本の宗教観ができているというものだった。山伏の格好をしている人がいれば、神官のような格好の人もいる。その隣にはいかにもゾロアスター教のような格好の人もいる・・・まさしく数年前に住職さん?神主さん?に聴いたことが分かるようなお祭りだった。
お水送りは火を焚いて、松明に火を移して川までもっていき、そこでまた火を焚き、壺の水を流し、地下の水脈を通じて、奈良まで水を送るというもの。まったくの勘だが、火は大地とそら(宇宙)をつなぎ、場の浄化をしながら、エネルギーの交換を行い、新陳代謝を促し、お灸のように大地の滞りを1年に1度ほぐし、水やエネルギーを流れやすくしているのではないかという感じがした。さらに、疲れがたまっていたはずの自分もお祭りに参加して、いつの間にかエネルギーがチャージされたような感覚になったことは不思議だった笑
自然と人をつなぐのが本来の神事なのかもしれない。これは福井と奈良の間だけではなく、地球全体の流れを整えるものでもあるのかもしれないなとも感じた。お灸をすれば、その箇所だけでなく、身体全体の流れがよくなるように。今までの百年前後くらいは数十年スパン、ひどけれび一年スパンくらいで考える社会になってしまったが、もともとは、数千年スパンで考える社会を先人たちは築いていたと、縄文時代の遺跡を見ても、伊勢神宮などの神社を観ても、お祭りを観ても思う。再び、そのスパンでものごとをトータルで観ていく必要があるのではないかと思う。それができるかどうか、この数十年にかかっているとも思える事件が、地震や洪水、新型コロナウィルスにしても、大規模な山火事にしても、経済にしても、気候変動にしても、続いているように思う。
3月12日(2020年)には奈良でお水取りが行われる。神宮寺と東大寺は直線距離で約80km離れている。本当に地下でつながっているかどうかはさておき、古代の人は何かを感じ取って続けてきたのだろう。すべてには意味があると思わせるお祭りだった。自分も寒さで身体が縮こまってしまったので、今度お灸をしてもらおうかな笑