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グローバルリーダー向けの研修プログラム in 京都

Regreenでは、株式会社クボタ様の海外支社の経営者の方々に向けて、「古代から現代の京都に学ぶサスティナビリティ」をテーマに京都で研修プログラムを開催させていただきました。

日本は世界の中でも最も長く続く国の一つとして、縄文時代から幾たる気候変動や環境の変化、様々な時代に様々な地域から人々が日本列島に入ってきて、融合を繰り返し、多様な文化や精神性を育んできました。

また、平安京も西暦794年に長岡京から遷都されてから1868年に至るまで都として機能し続けてきました。それ以降も京都は日本人の精神的な都としての拠り所として、海外からも多くの方が訪れる、今も時代によって成長を続ける、生き続ける都だとも言えます。

先人がどのようにしてこの日本という国や平安京(京都)をつくったのか、なぜ、それらがこれほど長く続くことができたのか、その国づくりや都づくりに関わって来た人々、また、それに関わって来た周辺地域の自然環境や資源、そこでの生活がどのようなものであったか、そして、明治以降、東京に都としての機能が移り、衰退が進んだ京都を盛り返すために行われた琵琶湖疎水事業、そこに関わって来た株式会社クボタ様の創業者精神と歴史、古代から現代に続く先人の挑戦から現代に生かせること、そして、私自身が行ってきた歴史や文化、茅葺きと持続的地域環境の研究、現代的な技術、それらの融合が未来の社会づくり、建築都市づくりなどへつながる可能性をメインテーマにお話しました。


まずは、将軍塚という京都市内を一望できる山に登り、京都盆地の地理的・地形的な特徴、誰がどのようにして平安京をつくったのか、そこに込められた想いや考え、工夫、水上交通と都造営に欠かせなかった桂川の存在、桂川上流地域の京北などの周辺地域の成り立ちや都造営に果たした大きな貢献、どのようにして平安京が1000年以上も維持されてきたか、短命で終わった飛鳥や奈良時代の都と平安京との違い、当時の疫病や自然災害などがどのように都市計画や家のつくり、人々の生活、文化に影響を与えたかなどについて説明させていただきました。

飛鳥時代は天皇の代が代わるごとに都が新しくつくられ、その度に周辺の木材は切られ、694年に唐の都を倣って日本で初めて大規模な条坊制の藤原京がつくられた当時、奈良盆地は禿山で都造営に必要な木材を入手することができず、遠く滋賀県の田上山から4本の川での運搬と陸送でやっとの思いで木材を運び藤原京が造営されました。その次の平城京の造営では、藤原京の建築物のほとんどは解体され、木材や瓦などを十数km運び、平城京の建築物をつくったと言われています。

その後も木材などは貴重で、長岡京、平安京造営にも転用され続けたと言います。

その時代は、白村江の戦いで唐に敗れ、豪族同士の勢力争いも続き、地震や台風などの自然災害、疫病なども頻発し、国が亡びるかどうかの時代。
その中で、どのようにすれば、長く続く国がつくることができるか、先人は智慧を出し合い、国の根幹的なシステムやそれを反映した都市計画を考えました。

平安京造営に大きく関わった秦氏という一族は古代から日本の国づくりや平安京造営に大きく貢献し、平安京は結果的に1000年を超える都として存続し続けました。その中には、平和で長く続く国、都を目指した秦氏の哲学、想い、信仰が反映されています。


それは今を生きる私たちの目指すべき世界のあり方にも通じるものがあると思います。





次に、株式会社クボタ様の創業者である久保田権四郎さんが関わられた琵琶湖疎水を見学に、京都市動物園の脇を流れている琵琶湖疎水を観ながら、インクラインをまわり、南禅寺を抜けて水路閣を説明させていただきました。


ここでは、主に、琵琶湖疎水事業の目的や意義、プロジェクトがどのようにつくられ、田邊朔朗氏という若き土木技術者によって疎水がどのように設計され、それによって京都がどのように産業を育て、近代化を成し遂げ、今に続く京都がつくられたか、その事業の水道管を製作することに関わられた株式会社クボタ様の創業者である久保田権四郎さんの足跡、創業者精神などについて説明させていただきました。

明治時代になり、東京に天皇や皇族、政治機関などが移ることによって、京都の人口はその2/3まで減少し、京都は狸やキツネの住処になると言われるほどでした。そこで、京都に新しい産業をつくり、近代化を進め、雇用をつくり、安全で安定的な都市生活を送ることができるようにするためにも、琵琶湖から水を京都に引くという琵琶湖疎水事業が計画されました。

琵琶湖からの水を使い、日本で初めての水力発電や電車がつくられ、後の任天堂や京セラなどの企業にも続く産業を育てることにも貢献し、安心して生活に使うことができる飲料水も確保することができました。

また、南禅寺の水路閣や銀閣寺の近くの哲学の道など、京都を代表する美しい景観もつくり、今でも世界中の人々から愛され続けています。

琵琶湖疎水は、かつてのものではなく、今もなお、京都を支え続けているものなのです。







茅葺きや神社仏閣、平安京など、かつての建築や都市づくりにも通じる、琵琶湖疎水のような土木のあり方はRegreenの目指すべき、自然と共生しながら、持続可能で、これから何世代にも渡って人々からも愛され、美しい景観もつくることができる建築や都市、地域、国土、土木のあり方だと言えます。


その根底には、先人の哲学や熱い想いが込められており、それが最も重要なものなのではないかとさえ、思います。





その後、バス車内で自身のこれまでの研究内容についてお話させていただき、京都国際会館にて、この日のプログラムの質疑応答を受けさせていただきました。

今回、お話をいただいた中で、普段は事業に関する分野のことしか触れることがないので、普段触れることのないような分野で、これからの事業展開に示唆となる視座を高める話を聴きたいという先方からのニーズがありました。

クボタさんは農業機械メーカーでありますが、機械をつくり、販売するだけでなく、都市開発や持続可能な農業のあり方など、多様な面からの事業展開を模索されているようで、そのためにも、平安京という都づくりと日本という国づくり、そこに農業がどう関係しているか、そして、そこに茅葺きがどう関係しているか、また、そこから未来をどう考え、つくることができるかをお話させていただきました。

茅葺きは古民家という建築単体のものとしてだけでなく、それをつくるためには木や土、茅が必要であり、それには森づくり、茅場づくりとそれらの維持が重要になっていきます。それらをつくり、維持する過程で、生物多様性や森から海までの自然の循環、生きものにとっても豊かな環境づくり、豊かな土壌と水づくり、土砂災害防止、地球温暖化対策、多様な微生物環境づくりなどが行われます。そして、古民家というあり方だけでなく、古民家の課題を解消しながら、現代的な暮らしができる新しい茅葺きの建築やそれらによって構成される都市づくりも可能です。

例えば、茅葺きの現代的な住宅が立ち並ぶ周辺にその材料を賄う茅場をつくり、そこで採れた茅で屋根や壁、内装材、プロダクトなどをつくり、数十年、材料として使った後は田畑の肥料として再利用したり、バイオマスエネルギーの燃料としても利用できます。

かつてあった総合的な循環の営みの関係性の現代版をつくることで、人と自然、双方にとって、健康的な循環のある建築や都市、地域、自然環境をつくっていくことができます。


また、微生物環境の研究から得られた知見を応用し、これからの宇宙空間での建築の内装材としての応用も考えられます。

また、地上から地球環境を考えることには限界がありますが、宇宙から地球を観ることで、俯瞰的に、人々の生活、都市、建築などに使われる資源やエネルギーが観える化することができ、母なる星である地球とともに持続的に地球上で暮らしていけるようにするためにも、資源やエネルギーなどの入手、使い方を最適化していくことも重要な課題だと思われます。

茅葺きというと古民家という過去のものとしてのイメージが強いかもしれませんが、他の自然由来の材料や現代的な技術なども組み合わせながら、新しい可能性を探ることで、地球環境とのよりよい関係性をつくりながら、人類も存続していくことができる一つの可能性として考えることができると思います。





今回、株式会社クボタ様の海外支社のグローバルリーダーの方々に私がこれまで研究し、感動し、未来に生かせると考えてきたことを3時間のダイジェスト版で伝えさせていただきました。


まだまだ伝えきれないことはたくさんありますが、今回のプログラムで今後の事業展開や持続可能な社会づくりに関して、参加者の方々が何かしらのヒントを得られたとしたら、この上なく幸せに思います。



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