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京都の里山「山国」に導かれて

現在、茅葺屋根を中心に、自然素材を使い、最終的に土に還り、人にも自然にも健康的な循環をつくり出せるこれからの建築や都市、ランドスケープの研究、提案、デザインを行っています。

茅葺屋根の研究者、職人さん、地域の人々、宿泊施設運営者、伝統文化関係者、アーティスト、行政関係者、民間企業関係者、起業家、様々な方に面白いと言っていただいて、交流する人の幅もさらに広がりました。

「家ラジオ」というラジオ番組に出させてもらったり、「NHK WORLD」という全世界で約10億人が視聴している番組に出させていただいたりして活躍の場も広がりつつあります。

そのきっかけとなったのは、京都の里山、京北、特に「山国」という地域を訪れ、茅葺屋根の農家民宿に泊まったことがすべての始まりでした。

2019年11月に京都での2週間にわたるお茶の稽古を終え、紅葉でも観に行こうと高雄に宿を取り行こうとしたら宿がなく、少し範囲を広げたら京北という地域に茅葺屋根の農家民宿「ほろろん」という宿があることを発見。

問い合わせてみると、その日は魚釣り名人の常連客が泊まりに来て、囲炉裏で釣りたてのあまごを焼いて食べるという。当日の連絡にも関わらず、宿主にも常連客の方にも快く受け入れていただき、いざ京北に!

昔、一回だけ行ったことはありましたが、常照皇寺というなんともすごい名前のお寺があり、気になっていました。ちょうど宿の近くだったので宿から宿泊の了承の返事をもらうまで待つ時間があったので、そのお寺に行くことに。ここは南北朝時代に北朝の初代天皇である光厳天皇が創建した禅寺で、さびれた感じがとてもよく、苔むしてとてもきれいで静寂な雰囲気に包まれている。坐禅をするにはちょうどいい場所です。

ほろろんに着くと、宿主の方の名前と自分の名前が似ていることから、一気に意気投合し、山国の歴史や文化の話、茅葺屋根などいろいろと聴いていくうちにとてもおもしろい場所だということが分かりました。

まずは、平安京をつくるために開かれたまちであるということ。桂川の上流地域で、天然の木を伐採し、それを筏にして今の嵐山くらいまで流し、それで御所や公家の邸宅、神社仏閣などをはじめ平安京の建築をつくってきました。いわば、平安京をつくったまち。延暦3年(784年)に桓武天皇が命じて36人の官吏(今でいう国交省官僚にあたるだろうか)が送られ、条坊制のまちが開かれた。山国神社という山国の中心となる神社には和気清麻呂公が初代祭主となる。平安京が造営された後も、都との関係性は深く、例えば、天皇が即位する大嘗祭(今回は2019年に開かれた)のメインの建築である悠紀殿、主基殿もこの地域の材木が代々使われてきた。南北朝時代には光厳天皇が法皇になった後に山国に住まうようになり、彼が好きだった納豆をこの地域に広め、今でも郷土料理である納豆餅が食べられている。幕末時代には鳥取藩を応援する形で官軍として組織された山国隊が鳥羽伏見の戦い、上野の彰義隊の戦い、仙台での戦いなど多くの武功を立てて凱旋。江戸で修得した鼓笛の行進は京都の時代まつりで先頭を飾る名物ともなった。また、高御座の御用材もここから調達されており、明治になるまで禁裏御料地として守られてきた。まさに天皇家との深いつながりがある地域です。

ここは、ただの田舎ではなく、何か未来を拓く可能性を感じる場所だと直感的に思いました。今までいろんな地方に足を運んできましたが、京都の街から車で1時間ほどの距離でこれだけの歴史や文化がある地域は珍しい。そして、ここにはおもしろい移住者が集まってくる。例えば、世界的に活躍する音楽家、アーティスト、料理作家、セラピスト、発酵食、工芸作家、伝統を現代に生かす活動をしている人、環境教育・ツアー事業運営者、無農薬栽培の農家をつなぐ活動をしている人、農業・林業研究者、昆虫学者・・・

そして、訪れた時から最も興味深く、尊敬し、お世話になっている方は、自分で茅葺屋根を維持し、表具師をしながら大工仕事もなんでもできてしまう「ほろろん」のご主人。囲炉裏もあって、お米や野菜をつくり、鶏も飼い、茅も自分で育て収穫し、屋根の葺き替えもなるべく自分たちで行って、昔ながらの生活を大事にしています。

ここ京北、山国は平安京造営に関わり、古い文化も残りながら、茅葺屋根が点在する日本の原風景を残す里山。自然と共生して、古きよき日本の姿を体感できる場所です。リトリートにもぴったりな場所。みなさんも機会があればぜひ!

山国地域 冬の景色

農家民宿ほろろん

隣にはビオトープや水車、茅葺の小さな小屋もある

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