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Architecture, City and Civil Engineer That Coexist with Nature

2020年時点の記事です。内容は一部変化している可能性があります。   2020年1月、京都の里山である山国の農家民宿「ほろろん」に滞在していた時、北陸新幹線が京都を通り、新大阪まで延伸されるという計画を地元の人からシェアしてもらいました。最初はそんなに深刻に受け止めていませんでしたが、どんな影響がその地に起きるのか詳しい人に聴いていくと、大きな問題が起こる可能性があることが分かりました。   茅葺屋根、自然と共生した建築の研究をしようと山国に来ていましたが、まさにその「自然との共生」を真っ向から崩すような計画で、深い歴史と伝統、里山の豊かな自然環境が残るこの山国の景観や生態系が破壊される可能性があると分かった時、何か自分にできることはと無我夢中になって情報収集を行い、気づいたら来てから2週間も経っていないのに地域住民に対して情報共有会も開催していました。今思っても不思議なことが重なり、突き動かされていたように思います。   それも、自分の先祖が平安京造営に関わっていたからかもしれません。もしかすると山国にも来ていたのかもしれません。その頃の都市計画、建築は、身近で採れる自然の材料を使い、伝統構法を使いよくつくられたものは数百年から千年以上もち、最終的には土に還る、茅葺屋根に至っては田んぼ畑の肥料にもなる、カーボンニュートラルどころか、カーボンマイナスに働いている、しかも、土壌の中の水や空気の流れをよくするような土木技術も使われていたり、容易に解体、移築も可能で、今で言うとサスティナブルな建築、都市、土木のあり方であったこと、それに対して、現代の建築や都市計画、土木は遠くで、地球を痛めながら採掘される材料や化学的に合成された材料を工場で大量のエネルギーをかけて建築材料にし、大量のエネルギーをかけてその国に運ばれ、建設する場所も地面を掘り、コンクリートで固め、大地が呼吸できないようにし、水や空気の流れも悪くなり、コンクリート建築にしてもハウスメーカーの住宅にしても、現代建築の多くは数十年からもっても100年ほどの寿命しかなく、最終的に巨大な廃棄物となってしまうという、自然を破壊することで成り立っている部分が多く、長年疑問をもっていました。自分が設計することで、一時人に喜んでもらいながら使ってもらうことができる建築ができたとしても、数十年経てば大量の廃棄物が生まれてしまうのではないかと・・・   北陸新幹線に関しても同じで、新幹線という移動の手段がもう既に時代遅れになりつつある今、建設後、あと何年使われるかもしれず、その時に自然環境を痛め、生態系を崩し、負の遺産として放棄あるいは解体された時、どうなるのだろうと思います。終わりのことを考えずに建築や都市、土木をつくってきてしまったのではないかと。   今回の北陸新幹線の計画で京都を縦断すると、茅葺屋根の古民家が点在する日本の原風景のような里山の景観が壊れる、工事中も一日200から300台くらいのダンプカーが里山の狭い道を往来し、粉塵をまき散らし、トンネルを掘った土をその自治体で処分しなくてはならず、行き場を失った土砂が不法投棄されたり山に仮置き場が作られて森が死んでしまったり、土砂から有害物質が出てきたり、水脈が変わってしまって今まで使えていた井戸水が使えなくなってしまったり、水質が悪化してしまって魚が住めなくなったり、いろんな影響が出ることが予想されています。開通した後も、騒音問題、振動問題、里山の景観が壊れ観光客が減ってしまうかもしれない問題、既存路線が第3セクターになり本数が減ったりとかえって住民にとっては不便になってしまう問題などいろんな問題が続きます。通過するだけの地元は国に従いお金を出し、環境は破壊され、地元の業者も儲かるわけではなく、メリットというメリットはないということです。住民に対する説明も十分にされず、計画は進み、現在、環境に与える影響の調査を始める段階のようですが、調査が終わるころにはほぼルートが決まり、そのころに意見を出しても聞き入れてもらえないところまで来ているそうです。戦時中の弾丸列車か、と思わせるようなシステムが国に残ってるように感じました。京都市内も大深度でトンネルで通すので、地権者の了承なく工事が進められるそうです。しかし、京都の地下には琵琶湖の水量に匹敵する水がめがあり、千何百年もの間、豊かな食文化やお茶、お花、着物、酒、庭など日本の伝統文化を支えてきた歴史があります。僕も京都に住んでいたころは生活でもお茶の稽古でも井戸水を使っていました。それくらい井戸水は京都に住む人にとっては身近な存在だと思いますが、それが万が一水質が変わって使えなくなったり、水脈が変わって枯れてしまったら、京都の文化はどうなってしまうだろうか。やってみないと影響のすべては分からないところもあるし、しかし、一度失ったら、文化や自然は二度と同じようには戻らないということをこれまでたくさん観てきました。発展的に変えていければいいですが、破壊だけならばそれは本当に必要なのかよくよく考えなければいけないし、見直しも必要でしょう。京北は山国と言われ、平安京をつくるための御用材や、新天皇即位の礼で使われる高御座や大嘗祭の悠紀殿、主基殿という日本の中でも最も重要な祭りの最も重要な建築物の御用材を代々提供してきた土地で禁裏御料地でした。和気清麻麻呂が祭主を務めた延喜式内、正一位の神社もあります。南北朝時代には光厳天皇が晩年を過ごした寺もつくられ御陵もあります。世界的に水の研究者として有名な今上天皇も40年ほど前に山国を訪れていますが、おそらく水上交通史の研究もされていたのではないでしょうか。それくらい皇室ともゆかりのある土地です。先人がずっと守り育ててきた地の環境や資源が変わってしまう可能性があります。   これから世界中でますます都市化が進み、農村に住んでいた人たちが都市に集中することがさらに加速していく時代になりますが、コロナの影響もあり、そのスピードは以前と比べればゆっくりになるかもしれません。自然との共生を大事にした伝統的な暮らし方ももっと見直されていくと思います。   SDGsと世界中で叫ばれるようになりましたが、もともと日本人は縄文時代から自然と共生して、自然に感謝して、その時に必要な分だけ動植物のいのちをいただきながら家をつくったり食をいただいたり、うまく使いながら、自然に還しながら、家をつくり、都市をつくり、文化を育て、生活をしてきた地域で、しかも約1億2600万人の人口がいて、世界第3位の経済規模でありながら、その自然と共生してきた文明が色濃く残る国だと思っていますが、いつごろからか、その逆をいってしまっているように思えてなりません。   北陸新幹線問題にしても、単純に環境破壊、政治とカネの問題だけと考えるのではなく、日本はもう一度、世界にも誇れる自然と共生してきた歴史があるということを再確認して、その精神性や智慧を大事にして、そこに住まう人々や生きとし生けるものたちの存在を大事に考え、人、自然、地域にとって健康でいい循環が築けるように、これからの開発を考えていかなければならない時にあると思います。それこそ、日本がこれから世界に発信していけること、いかなければいけないことではないでしょうか。     使われている間は命が宿り、使われた後は自然に還る建築のあり方   その可能性について、以下の海外に放送された番組で語っています。 NHK WORLD CORE

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The ideal circulation of human and nature

2021年時点での記事です。内容の一部変化している可能性があります。   2021年6月、長崎県諫早市にある多良岳という山に植樹された場所の手入れをしたり、地元の方々と交流しながら昔の豊かな有明海、山や森と川や海とのつながり、昔の諫早湾の豊かさ、諫早湾干拓工事の話を聴きました。 2021年10月に「森里海を結ぶフォーラム」を開く予定です。それは、森里海連環学という森から海までの自然の循環を取り戻そう、高めようと学問として提唱した京都大学名誉教授の田中先生を実行委員長として準備を進めています。ゲストには気仙沼で牡蠣の養殖をしながら「森は海の恋人」活動を続けてこられた畠山さん、環境省の自然局長の鳥居さん、全国で自然環境や生態系の保護活動、啓蒙・アクティビティ活動をされている方々を招いてフォーラムが開かれます。 専門家だけでなく、広く一般の市民の方々に自然と人のあいだの関係性について話を交わし、これから必要とされる社会づくりに向けたきっかけの場になることを期待しています。 自分はランドシャフト(Landschaft)の観点からこの取り組みに関わりたいと思っています。ランドシャフトとは、ドイツ語で「Land」は「土地や環境」、「Schaft」は「共同体やパートナーシップ」を意味し、その地にあった美しい景観をつくり出す様々な要素、気候風土、自然資源、生態系、人の営み、文化、哲学、歴史、建築、土木、都市・・のつながりから創出されています。 今回、諫早では地元の方々から、諫早湾、有明海の諫早湾干拓前の海の幸の豊かさ、今の干拓地や川の現状、諫早干拓がなぜ行われたか、それによって地元住民がどう困っているか、開門賛成反対で分断されていることなどを聴きました。頭で考えていたことと、実際に訪れて自分の五感を通して体感したこと、地元の方から話を聴き、対話して得られた情報は次元の異なる理解を促しました。   京北でもウナギや松茸が昔はあきれるほどよく採れたという話はよく聴きましたが、ここ諫早では、干潟で貝、海では魚、川ではウナギがやはりあきれるほど採れたと聴きました。その日の晩のおかずは漁師ではない人でもその日の夕方に行って採れるくらい、豊かな干潟、川、海が広がっていたそうです。 潮受け堤防をつくり、海と分断されてしまった川では、ウナギやカニ、魚が遡上できなくなったそうです。一方で、堤防の外側で海とつながっている川ではウナギやカニ、魚が川をさかのぼる姿が観れるそうです。 堤防の内側にはもともと海だった調整池という広大な池がありますが、今は水位が高くなった時に堤防から排水するしかつながりがなく、それまでいた魚や貝など生き物はいなくなり、その代わり、ユスリカという小さな蚊の仲間が大量発生し、虫取り網を10回くらいブンブン振り回すと5cmくらい収穫できてしまうほど大量発生していました。ユスリカは水質が悪化しているところで発生するそうで、水を浄化する働きをしているのではないかということでした。全体のバランスを取り戻そうと、自然が生み出したものではないかと思いました。   人間ももともとは土から生まれ、土を耕し、土に還るということを繰り返しながら自然の大きなバランスをつくる存在だったのだと思います。しかし、今はその働きと逆のことをやってしまっているから自然界からすると、汚れや滞りがたまり、地球は定期的に浄化が必要なので、地震、台風、ウィルスなどを発生させて自然の大きなバランスを保とうとしている、そんなふうにも考えられると思います。罪穢れや土地の定期的な浄化が大切だと教えている日本の神道のあり方にも通じると思います。 蚊がとまってかゆかったら、叩いて追い払うように、血行が悪かったらお灸をしたり運動したり温泉に入ったりするように、地球も滞りがあるから、いろんなことをやっているだけ。それに合わせた建築や都市、社会づくりをしていけばいいのではないかとも考えさせられます。 「地球交響曲 ガイアシンフォニー」という映画がありますが、それはジェイムズ・ラブロック博士が提唱した地球は一つの生命体であるという理論に基づいています。最近の科学で明らかにされつつあるバイオスフィアの姿ですが、縄文人や世界中の先人たちはそれを体感として理解し、自然を過度に壊さずに共生し、逆に自然を耕し、いい循環をつくり出そうとしてきた、それが素晴らしい里山や里海、都市の景観をつくり出してきたと思います。 地震にも台風にも柔軟に耐え、環境の変化があっても対応でき、心と身体の健康をつくり出してきた伝統建築や集落、都市。 それが干拓工事をして海と川のつながりが分断され、干潟がなくなってから、採れる魚の種類も量も圧倒的に少なくなってしまったといいます。そもそも干拓工事は山間地が多い長崎県の農地拡大のために行われ、それだけでは反対が多かったため河川氾濫など水害対策としてつくられたそうです。 しかし、干拓してできた農地は野菜を育てる土壌としては不適で、分断されてできた調整池が浅く太陽熱の影響を受けやすいため、夏は暑く、冬は寒いという場所になってしまい、ハウス栽培でないと農業もできないような土地になり、しかも地元の農家が入植したのではなく、地元以外からの企業による大規模農業が入っているということでした。個人経営でやろうとしても排水設備などが10億円規模で必要なためとても参入できるものではなく、土地もそのような場所のため農業をそこでやるメリットもないそうです。 もともとあった森、山、川、里、都市、海までの循環が分断され、干拓や水門の開門の是非などを口に出すこともタブーとなり、地元住民の心まで分断されてしまったそうです。     諫早の歴史を調べていくと、戦国時代まで西郷氏が治めていた土地で、そこに龍造寺氏が勝ち、諫早に入り、家治公から諫早氏と名乗るようになったそうです。以来、明治維新まで諫早の治山治水、産業の発展に努めてきたそうです。明治になってからも地元の発展のため、土地を市民に開放してきたそうです。 そうした歴史がある中での国家事業。いろんな話を聴いていく中で、そもそも地元住民のためのものではなかったのだと感じました。他の地域にも共通することですが、国家事業で地域の経済や自然環境が潤えばいいのですが、その逆になってしまうケースもあり、諫早干拓はその例でした。 干拓工事でつくられた潮受け堤防は美しい景観をつくり出しているわけでも、農業漁業に貢献しているわけでもなく、自然と人を分断してしまった負の遺産として今も存在しているかのようでした。 地域の資源を使い、地域の技術を使い、地域の人の生活や営みにつながり、つくることによって自然環境や生きとし生けるものたちの環境、土地の力が活性化し、数百年以上続く、美しい景観と循環の仕組みをつくり出し、そうした美学、哲学のあるランドシャフトをつくっていければと思いました。

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The forum for the Connectivity of Hills, Humans and Oceans -Challenge to Improvement of Watershed and Coastal Environments

2021年10月に、森、山、川、人々の住まいである里、海までの自然の大きな循環を再生、育てていこうと、長崎県諫早市で、「第一回森里海を結ぶフォーラム」を開催しました。   宮城県気仙沼で牡蠣の養殖をしながら川の上流地域の山への植林活動を続けている畠山重篤さん、中井徳太郎元環境事務次官、世界中で活躍されている野中ともよさん、地球環境をテーマにアーティスト活動をされているNOMAさんはじめ、各分野の研究者の方々、企業、行政の方々、一般の方々など、多くの方が参加してくださいました。   詳細は下記の報告書をご参考ください。       2021年10月1日(金)~10月3日(日) フォーラム開催について 森から海までの自然の循環と人々の間の関係性の再生、干拓工事によって分断され大きく変化してしまった諫早湾や有明海の再生を願って、長崎県諫早市において、第一回森里海を結ぶフォーラムが開催された。 今回は、全国各地で同じ想いを共有し活動されている方々が集まり、情報交換をし、横のつながりをつくることが大きな目的とされた。初めての全国的な取り組みで、フォーラムの開催経験に乏しい8名の実行委員が全国から集まり、ボランティアチームとして、各自ができることを自主的に動きながら、資金も含めて手作りでのフォーラムを実現させることができた。 講演だけでなく、晴天の中、植樹祭で実際に身体を動かし、森から海へのつながりを体感することができ、参加者の間に笑顔が広がり、自分たちの生活が自然界に与える影響について想像力を膨らませることができた。 かつて、森から里、海までのつながりは人々の営みの中で確実につながっていたが、それが生活のあり方、経済、産業、土木、価値観、様々な変化のなかで急速にこの数十年で失われ分断されてしまった。それによって、生物多様性は急速に失われ、絶滅危惧種が増加の一途をたどり、人類の生活にも影響を与え始めている。今一度、立ち止まって、自然界で起きていること、私たちがやるべきことについて問い直すことが求められている。それを絶滅危惧種の生きもの達の代弁者や全国各地で森里海をつなぐ活動をされている方々の話から問いを深め、近未来に向けて何ができるのかを考えるきっかけの場になった。 今回、第1回森里海を結ぶフォーラムを諫早市で開いた理由は、かつて多様な生き物にあふれる日本有数の豊かな漁場であり、地元の人々の憩いの場でもあった諫早湾や有明海が干拓事業などによって、森から海までの自然の循環が分断され、その環境が大きく変わり市民の間にも分断や対立が生まれ、生活にも影響を与え続けていることによる。その諫早から流れを変えることによって、日本のみならず世界を変えてゆきたいとの志である。 タイトル:第1回森里海を結ぶフォーラム 開催日時:2021年10月1日(金)午後~3日(日)午前 開催場所:長崎県諌早市  講演など:鎮西学院大学西山ホール 植樹祭: 多良岳に感謝の会広場 開催内容: 10月1日午後 講演:畠山重篤様「森は海の恋人33年-心の森を育む」 対談:野中ともよ様・NOMA様「いのちと地球をめぐる」 10月2日午前

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