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サスティナブルな古代の都

2020年8月21日のFacebookへの投稿

藤原京跡へ

藤原京資料室と奈良文化財研究所で、藤原京の歴史を観て感動。

飛鳥時代につくられた、日本で一番最初の条坊制の本格的な都は16年でその役目を終え、使える部材は平城京造営のために再利用され、1934年に遺構が発見されるまで田畑になり、都は土に還っていた。

藤原京跡は何度も訪れているが、資料館に行くのは初めてだった。ジオラマ模型や詳細な展示を前に、童心にかえったように夢中になって資料を観ていた自分がいた。今までどうやって木材を運搬したか、なぜあの場所が選ばれたのか謎だったがそれもわかった。平安京は桂川水系を使い、秦氏の土地の提供と土木技術があってできたが、藤原京は今の滋賀県にある田上山から宇治川、木津川、佐保川、飛鳥川を使い(途中陸送あり)運ばれた。百済系渡来人の土地と土木技術があったからこそできたものだった。藤井ヶ原という土地には藤が咲き乱れ、百済から来た渡来人が住んでいた。その近くには日本の中で当時最大級の国立寺院である百済寺(後の大官大寺)も建てられた。もともと日本に住んでいた人たちと新しく渡ってきた人たちの協働があったからこそ、都ができたと言っても過言ではない。

小さいころから都市計画が好きだった。3歳くらいの時から家の庭の砂場で、山をつくり、川をつくり、家や学校、お店をつくり、都市計画遊びをしていた。小学校に上がってからは1/1000スケールの都市計画図を農村から地方都市、大都会と、最初は訪れた場所をリアルに描いていたが次第に空想の世界を描き、小学高学年の頃には50冊を超えた。父親が田舎育ち、母親が都会育ちで、互いの故郷を小さい頃から行き来してきたり、毎週末、近くの県に旅行したりしてきた自分は小さい頃からその風景を捉えようとしていた。

大学の研究室はコンクリート建築やハウスメーカーの工業化住宅を進めてきたところで、宇宙ステーションや昭和基地で使われている資源循環の技術を応用して、インフラから自律した建築都市をつくるという研究をしていたが、小さいころから自然が好きで、自然と共生した建築や都市をつくりたいという気持ちがあったのか、いつからか戸惑いを感じていた。

今は自然の循環の中で、人の生活の営みとして茅葺屋根がつくられ、それは自然に対してマイナスどころかプラスの作用をもたらしてきたということを知り、夢中になっていった。二酸化炭素を吸収し成長し、生きものの住処となり、土壌や水を浄化し、地面の保水力も高めてくれ、屋根材として数十年のあいだ人の命を守り、役目を終えた古茅は田畑の肥料に、釘を使わず解体が用意な構造体は移築も転用もでき、最終的には薪としてエネルギーにもなり、土に還っていく。こうした茅葺屋根は弥生時代には少なくてもあった。その形を象徴化したのが伊勢神宮や天皇が即位する時に使われる悠紀殿、主基殿でもある。

これからの建築、都市のあり方は既に飛鳥時代にあった、ということを教えられた気がした。飛鳥、藤原京跡は令和6年までに世界遺産を目指しているらしいが、なかなか難航しているそうだ。

現存世界最古の国の国体が決まり、その都がつくられ、今でいう持続可能な建築都市・社会づくりがされていた飛鳥・藤原京こそ、日本が世界に発信していくべきものだと思う。

古代ロマンとともに、何時間いても、何度行っても飽きない場所だった。

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